原田正純先生を偲ぶ

水俣病の患者さんに徹底的に寄り添い、社会と闘って来られた原田正純先生が、2012年6月11日に亡くなられました。

2012年4月1日に、水俣病と闘われたご経験から、福島は何を学べるのか、群馬大学でご講演いただくことを視野に、西村淑子さん(http://d.hatena.ne.jp/gunma2011/20120612/1339476718)と西崎伸子さん(http://dongolu.blog66.fc2.com/page-1.html)と、そして私の家族と、ご自宅を訪問させていただきました。華やかなお庭が見えるテラスで、お好み焼きをご馳走になり、子どもたちをお庭のブランコやベンチで遊ばせて頂きながら、原田先生から直接お話をお伺いすることができたかけがいのない思い出となりました。

水俣と福島の共通点について慎重にみていらっしゃいましたが、それは、原田先生の水俣でのご経験があり、そして放射能の方が見えないからさらに深刻、と受け止めていらっしゃるからでした。そして、お話しの中で、「水俣は社会的な問題であったにもかかわらず、医学に丸投げをした。」とおっしゃっていたことは、社会科学にたずさわる研究者の肝に銘じるべき言葉だと受け止めました。

水俣の足元の問題で手一杯だと思っていらっしゃる中、宇井純先生に外国に連れ出された経緯もお伺いしました。そして、世界の公害問題と関わられる中で、実は、世界の問題と、足元の問題は関係があること。

また私が専門とするタンザニアにも実は調査にいらっしゃっており、私も研究調査でいつも現地でお世話になる椿さんにも会われていました。当時のビクトリア湖での金の採掘現場にも足を運ばれ、またケニアでは女性の間で化粧品による水銀中毒の典型的な症状もみられていました。

私自身、原発震災による放射能汚染の子どもたちへの影響に危機意識を持ちはじめたきっかけは、自らの母親としての当事者の意識への共感からでしたが、原田先生のお話を伺い、社会科学、国際開発研究、アフリカ研究を専門とするものが取り組むべき問題でもあることを、改めて再確認しました。原田先生の偉業の足元にも及びませんが、人々の足元の問題、社会の問題、世界の問題に対して、これからもできることから取り組んでいきたいと思っています。